豊久信雄(とよひさ・のぶお)さん=(有)塩屋産業会長=26日朝、95歳の天寿を迎えた。大正14年別府市浜脇「塩金旅館」の4男として生を受けた。旧制別府中学(現県立別府鶴見丘高校)を経て東京高等師範学校(旧東京教育大学、現在の筑波大学の母体)を卒業。別府鶴見丘高校で倫理社会、政治経済の教べんを取り、退職まで一貫して鶴見丘の教壇に立ち続けた。教職活動の傍ら、空手道場「練生館」を開き、多くの門弟を世に送った。「政治経済」の実践は田の湯町に本社を置く(有)塩屋産業の経営に生かされた。事業の理念として▽収支の明確▽経費の合理性▽士気旺盛、事業者としては▽恩を忘れず▽「仁」を心がけ「義」に生きる▽欲望に打ち勝ち、礼の本質に立ち返る―――を座右の銘とした。豊久さんは教職退職後も市内在住の教え子を訪ね、論語や政治経済論を教示しつづけた。なかでも中国古来の哲学、四書五経の解説は現代流に価値観を変えて独自の境地を生み出した。
八幡朝見神社の本神輿渡御奉仕にあたる本音會、別府市連合青年団の支援者でもある。
趣味の空手道は実践型に進化させた。高齢の域に達してからは「気功太極拳」の最高師範として、地元町内に120人の「門弟」を抱えた。「寿命は百二十歳」が口癖だった。多くの門弟は師との突然の別れという衝撃に包まれている。通夜葬儀は故人の遺志で家族のみで執り行った。後日「お別れの会」を営む。喪主は長男の伸彦(のぶひこ)さん。