別府史談会の春季研究発表会

別府の歴史愛好家の
小野弘会員が講師を務めた

 別府史談会(友永植会長)は春季研究発表会を10日午前10時、野口ふれあい交流センター集会室で開催し、約40人が参加した。
 春季研究発表会とは、会員が自らの研究成果を発表する場で、年1回、3月に行っている。
 恒松栖副会長(会長代理)のあいさつ後、会員の小野弘さん(元今日新聞社報道部長)が「別府の海岸埋立ものがたり」をテーマに発表した。
 別府の海岸は天然の浜辺だったが、1871(明治4)年にできた別府港以外は砂浜だったが、今では海岸線はほとんど埋め立てられ、昔の面影はない。
 「町が発展するにつれ土地の狭さを解決しようと、海岸埋立が始まったのはおよそ110年前。1923(昭和3)年の『別府市史』によると10(明治43)年12月、奈良県人の伊藤世民ほか2人の埋立出願者に対して別府町が仮契約を結んだ。翌11(同44)年11月1日、第1区が起工し完成間近となったとき、強風による被害で事業中止に追い込まれた」
 「その後、18(大正7)年10月に会社が創立され、19(同8)年に起工した。第1区は1921(大正10)年、第3区は24(同13)年に竣工。第2区は27(昭和2)年に起工し、翌28(同3)年に竣工した」と解説。
 小野さんが調べたところ、少しだけ判明した「海岸埋立失敗」は設計・施工の不備が原因という専門的見地からの指摘などの情報が得られた。配布資料には、別府全景の絵葉書から海岸線の変化、鶴水園と呼ばれた別荘地の北埋立地の絵葉書、海岸埋立ものがたり資料篇が掲載されている。
 質疑応答後、恒松副会長が謝辞を述べた。