別府史談会の春季研究発表会

講師をする会員の生嶋光生さん
レコードに声を吹き込んだ
石田嘉代(旧性)さん

 別府史談会(友永植会長)は春季研究発表会を15日午前10時、野口ふれあい交流センター集会室で開催し、約40人が参加した。
 春季研究発表会とは、会員が自らの研究成果を発表する場で、年1回、3月に行っている。
 友永会長が「今年度の事業も、今回で最後。今日は生嶋さんから貴重なお話が聞けます。生嶋さんのお母さまの軌跡を話していただき、貴重なお写真も展示しています。メモするようなことばかりだと思います」、筒井秀弥亀の井バス(株)総務部長がそれぞれあいさつ。
 会員の生嶋光生さんが「亀の井バス『地獄めぐり』と父母」をテーマに発表した。
 生嶋さんは昭和19年生まれで80歳。大分バスグループニッポウチェーン(株)で別府・宇目・竹田ドライブインなど各地で勤務してきた。店長や役員として30年勤務し、別府市役所フロアマネージャーを7年務めた経歴の持ち主。
 講話では、生嶋さんの父・守人さんは亀の井バスの整備兼運転手で、母・嘉代さんはバスガイドをしていた。
 守人さんは昭和5(1930)年、15歳のときに亀の井バスに整備士見習いとして入社。昭和8(1933)年、18歳のときに久留米第一戦車隊に入隊し、ディーゼルエンジンの戦車を操縦。除隊後、亀の井バスにバス運転手として勤務。ディーゼルエンジンの戦車を操縦していたことから、亀の井ホテルでは油屋熊八翁の愛車ハドソン車を運転。バス勤務では、地獄めぐりや湯布院線を走っていた。バスは木炭バス、ホロバス、大型トレーラーバスなど各種を運転していた。昭和16(1941)年に嘉代さんと結婚。
 嘉代さんは、昭和9(1934)年に亀の井バスに入社。市内循環バスから地獄めぐりガイドとなる。14(1939)年、20歳のときに「府県巡り大分県の巻」で七五調の地獄めぐりをレコードに録音している。唄いだしは「瀬戸の島々ヨー」である。
 レコードの音声をCDにしており、それを披露した。有名なのは村上綾子(アヤメ)さんの本社~流川通り西進(山側に進む)ルートのものだが、嘉代さんのものは「本社~上人ケ鼻(現・上人ケ浜)~血の池地獄~海地獄~石垣原古戦場~流川通りを東進(海側に進む)~天然砂湯~本社」となっている。
 生嶋さんは「母が大変名誉な仕事をしました。大日本帝国海軍連合艦隊司令長官 永野修身大将を耶馬渓の青の洞門にご案内したこと。別府湾に停泊されたときには、料亭なるみにおいでになり、その時に揮毫された書(竹影払階塵 不動月輪穿沼 水無痕)があり、私の同級生の高岸隆太郎さんの父、料亭なるみの二代目・高岸克郎さんが寄贈した佐伯市平和記念館やわらぎへ行き、写真を撮りました」と説明し、そのときに撮影した写真をプロジェクターに映し出した。
 油屋熊八翁が亀の井遊覧自動車会社を設立して、25人乗り大型バスで別府地獄めぐりをはじめたのが昭和3(1928)年。最初は遊覧バスガール(後のバスガイド)7人が採用され、その中に生嶋初音さんがいた。初音さんは光生さんの父・守人さんのお兄さんの妻。当時の若い女性のあこがれの職業は、バスガイド、電話交換手、デパートガール(一丸デパート)だった、嘉代さんは初音さんの後輩だったということ、地獄めぐり案内のレコードは村上さん、芦邊静子さんが最初で昭和8年に作製されたとの説明があった。
 質疑応答後、恒松栖副会長が謝辞を述べた。