
別府市明礬温泉の「みょうばん湯の里」(飯倉里美社長)は今年、創業300年を迎えた。享保10(1725)年8月、ご先祖の脇屋儀助がミョウバン製造を開始したのが始まり。そのため同社では4月1日から来年1月25日までの300日間を「300年イヤー」とし、秋には県内老舗の商品を紹介する「老舗マルシェ」を開催するなど、さまざまな企画を発信する。
別府商工会議所によると、別府で300年続く企業は同社だけ。享保10年といえば江戸幕府8代将軍の徳川吉宗の時代。
古来、ミョウバンは薬用として止血剤や皮膚の消毒に用いられたほか、染料を反物に定着させる媒染剤、皮革のなめしにも利用されてきた。
明治17年ごろには海外のミョウバン押され豊後ミョウバンの製造が衰退したため、ミョウバンの製造過程でできた入浴剤「湯の花」の製造・販売に切り替えていく。
昭和52年に13代目が脇屋商会を設立。飯倉社長の父である14代目の脇屋長可氏(元別府市長)が昭和62年に「明礬湯の里」をオープン。湯の花の小売事業をはじめ露天風呂や土産・和雑貨販売、レストランなどへと事業拡大していった。
平成18年から現在の飯倉社長が脇屋家16代目当主として跡を継ぎ、平成23年に脇屋商会から、みょうばん湯の里に社名を変更し、現在に至る。
社名変更の理由は「明礬温泉をわかりやすい温泉地にするとともに、全国数ある湯の花の中でも、世界唯一の製造方法で造る明礬湯の花は、他と比べて歴史があり効能も優れている」という思いから。
近年は「薬用湯の花」の製造・販売だけでなく、湯の花を配合した石けん、シャンプー、ハンドクリームなどの化粧品開発も積極的に行い、インターネット販売や全国展開する業者と取引きしている。
湯の花は国際特許を取得したほか、平成29年10月には経済産業省から「地域未来牽引企業」の認定を受けた。
飯倉社長は「地震もパンデミック(コロナ)もウクライナ戦争も乗り越えて300年つながることができたのは、湯の花という柱を変えなかったから。ミョウバン製造という産業が地名になったのは珍しい。地域あっての会社なので、地域に恩返ししたい。別府は観光地として、どうあるべきか。父の発想が今の私を助けてくれている。目の前の売り上げより、維持可能な会社にする。経営を維持することが地元の雇用につながる」と話している。