
戦後80周年大分県戦没者追悼式が7月31日午前10時半、別府市のビーコンプラザで開催された。関係者約800人が参列した。
戦没者の慰霊とその遺族に対する慰(い)しゃを行うとともに、広く県民に恒久平和の大切さを訴えるため、毎年、開催されている。大分県の軍人軍属等戦没者は4万4458人。
佐藤樹一郎大分県知事が「苛烈を極めた先の大戦で、祖国を思い、愛する家族を案じつつ戦場に倒れ、あるいは戦後、遠い異郷の地で無念のうちに亡くなられた御霊につつしんで哀悼の意をささげます。昭和から平成、令和と時代が移り、県民の8割以上が戦後生まれとなった今日にあって、家庭や地域など身近なところで先の大戦の実体験に触れる機会が少なくなってきています。しかし、私たちは今日の平和と繁栄が戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれていることを決して忘れることはできません。戦争の惨禍を二度と繰り返さないため、命と平和の尊さ、遺族の皆さんのご労苦を次の世代へしっかり語り継いでいくことは、今を生きる私たちに課せられた大きな使命です。誰もが安心して元気に活躍できる大分県、知恵と努力が報われ未来を想像できる大分県づくりを進めていきます」と式辞を述べた。
戦没者に黙とうを捧げ、来賓の嶋幸一大分県議会議長が「終戦から80年の歳月が過ぎました。大分県からも多くの方々がご家族の平安と安寧を祈りながら戦火に倒れ、終戦後においても帰郷が叶わず還らぬ人となりました。祖国を思いながら幾多の筆舌に尽くしがたい苦難に耐え、尊い命を捧げられましたことは、未来永劫忘れることが出来ない深い悲しみであり、今なお万感胸に迫り、哀惜の念にたえません」。末光秀夫県遺族会連合会長は「改めて悲惨な戦争を振り返り、国のために若い尊い命を捧げられたことは、永遠に忘れることが出来ません。戦没者遺族の減少、高齢化が進む中、あの悲惨な戦争が忘れられようとしてます。歴史を正しく後世に伝えていかねばなりません」とそれぞれ哀悼の意を述べた。
遺族を代表して、昭和20年7月にビルマで父親が亡くなった首藤美枝子さん=豊後大野市=が「母が妊娠8カ月の時に父が招集されました。戦跡巡拝で昭和53年にビルマに行くことが出来ました。やっと会いに来ることが出来ましたと声がけし、あふれる涙がとめどなく流れました。戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐことを遺族会の使命として今後も活動していきます」と語った。
引き続き、献花が行われた。戦争を知らない世代代表として、初めて高校生が参加。藤近真碧さん(明豊高校3年)が「再び戦争の惨禍が繰り返されることのないように、次の世代に戦争の記憶をつなぎ、平和な社会が継続していくよう、たゆまぬ努力をし続けることを誓います」と平和への誓いを述べた。