
20番目の大きさだった油屋熊八翁の手形

寄贈を受けた生嶋さん
両親が亀の井バスで働いていたという生嶋光生さん(別府史談会会員)にこのほど、別府市内の友人から額装された油屋熊八翁の手形が寄贈された。
手形は色紙に押されて、油屋翁の直筆もある。文章は「近江八幡の ヴォリーズ博士我が手相を みて曰く 第一に長命で 晩年大金持に なると 果して如何 只亀の歩みで一路前進 あるのみ 昭和九年十月廿二日 御来館記念に大きさに 於い汎日本人中二十番 目といふ折紙つきの大手形を 横浜市立十全病院長 及能先生に贈呈す 亀の井主人 油屋熊八 七二青年」とある。意味は「滋賀県近江八幡市のメンソレータム製造会社かつ建築家で宣教師のヴォーリーズ博士は、私の手相を見て、『第一に長命で、晩年大金持ちになります』とおっしゃったが、果たしてどうだろうか。ただ、亀のようなゆっくりした歩みで、ひたすら前進するだけです。昭和9年10月22日。ご来館の記念に手のひらの大きさでは(昭和6年の全国大掌大会の時の審査で)全日本のうち、20番目の大きさという折紙つきの大手形を、横浜市十全病院長の及能謙一先生に贈呈いたします。亀の井旅館主人、油屋熊八(72歳の青年)」。「長命」と言われたが、これを書いた翌年3月27日、油屋翁は逝去している。
生嶋さんは「別府観光の父と言われ、『別府の外務大臣』と自称し、別府のPRに尽力した熊八翁の長寿を願っていたが、それも叶わず旅立たれ、心より残念に思います。葬儀は現在の別府市中央公民館大ホールでキリスト教方式で行われ、私の父と母が参列しました。私の手元に熊八翁の手形が来たのは、両親が繋いでくれた縁だと思うし、驚いています。私も高齢なので、私が持っている熊八翁や母の地獄めぐりのレーコードなど亀の井バスに関する資料は、後々、別府市美術館に寄贈しようと思っています」と話している。
