別府市と別府市教育委員会は、令和6年度「平和を考える市民の広場」を19日午前10時半から、市公会堂で開催した。
別府の戦中戦後を知るため、戦中当時の新聞や動画「べっぷ平和を想う」、「あなたにつなぐ戦中戦後を生きた人々の記憶」として、8人の体験談動画を上演した他、パネル展示「原爆と人間展」、佐藤八郎さん(故人)の著書「シベリア抑留体験記」の朗読が行われた。
開会式で、岩田弘別府市副市長が「平和な社会実現を目指すとともに、平和について考えてもらうきっかけにしてもらおうと、毎年開催しています。戦争を二度と繰り返さないため、平和を守るために私たちに出来ることを考えるきっかけになればと思います」とあいさつ。
裏千家前家元・千玄室氏(101)が「平和を使わなくてよい平和」と題して講演を行った。千氏は千利休から数えて15代目の茶道・裏千家の家元を務め、現在は長男が16代目を務めている。戦時中は特攻隊員だった。茶道を通じて平和を訴える活動を続けている。
千氏は「大学に入ると、卒業までは徴兵検査を猶予されており、私も1年の時に猶予願を出し、許可されていたが、2年になると突如、文系学生は全員徴兵検査を受けることになりました。陸軍に行った仲間はほとんどが亡くなり、残念で仕方がない。私は、徳島の海軍航空隊に行き、そこで俳優の西村晃と一緒に訓練に励みました。毎日『君たちは死にに来た』と言われ、厳しい訓練を受けた」と当時を振り返った。先祖である千利休が豊臣秀吉の朝鮮出兵に反対し、切腹になったことをあげ、先祖の平和への思いについても語った。
特攻隊員として出撃する直前に待機命令が出て、一命をとりとめた。「仲間は『じゃあ、行ってくるぞ』『靖国で会おう』と出ていって、誰も帰ってこなかった。当時、訓練が終わると、私がお茶をたててみんなで飲んでいた。特攻で出撃する仲間が『生きていたら、お前の家の茶室でちゃんとお茶を飲ませてくれ』と言われた時、初めて『死ぬんだな』と思った。命とは何か。命の意味は、生きていくこと。生きるためには、望みを持ち、自分の存在価値を知り、どんなに辛いことでもやり通すこと。一緒に徳島から飛んだ30人のうち28人が亡くなった。私は復員できたが、戦友のことを思うと、塾地たる思い。お茶を通じて、何とか戦争のない世界にしたいと思ってきた」と話した。