太平洋戦争終結から9年、1954(昭和29)年11月25日、皆様御愛読の今日新聞は、別府市千代町の印刷工場の片隅に間借りしてスタートしました。先代社長の故檀上栄は母、弟2人を連れて韓国大邱市から引き揚げ、一旦は母方の実家長崎県諫早市に身を寄せましたが、縁あって大分市、別府市と居を移し、拠点を設けて本格的に地方紙世界に参入をはたしました。
「今日新聞」は戦前大分市で岩屋護氏(岩屋毅外相の祖父)が立ち上げ、言論統制、一県一紙の方針のもと昭和19年まで刊行しておりました。檀上会長は岩屋翁の知己を得、題字を拝受してその10年後に「コンニチ」再出発としました。事後は現在の野口元町に本社を移し、活字活版から写真植字、現在のITフイルムレスセッター方式と次々に技術改革を貫行して今日に至っております。
社是「愛郷一貫」を編集大方針として日々精進を重ね別府市制100周年、この間、戦後の民選第一号となった脇鉄一氏、荒金啓治氏、脇屋長可氏、中村太郎氏、浜田博氏そして現職の長野恭紘氏と6人の市長とお付き合いさせて頂きました。また、日出町、杵築市にもシェアーを広げ製造技術はハイテク化を受け入れながらも、その編集哲学は昭和と変わらぬ古典的な志向で日常を重ねております。昨今は「活字離れ」という風潮で時代遅れの感がある地方紙ながら、古いが人間愛にあふれた紙面づくりを描きながら、古来希れなる歳月を過ごすことが出来ました。
取り巻く経済状況はというと、制作素材の高騰、当時最新鋭のアメリカ製ゴス社のカラー印刷輪転機は製造から50年を経て、今ではお宝鑑定団に出品できる程のアンティーク製品。振り返れば愚生をはじめ社員スタッフも鑑定団入りクラスのベテランとなりつつあります。
歳を重ねてもなお、新鮮な紙面づくりを心がけ、初心に戻り地域社会にはたす役割を改めて感じ入る今日この頃となりました。
皆様の「コンニチ」は今日も元気に地元のニュースをお届けします。御愛読の皆様はじめ、広告スポンサーの皆様、これまで承りましたご支援ご厚情に改めて感謝申し上げ、100年企業を目指して再スタートします。
これからの「コンニチ」を旧に倍しましての「親しみ」をお感じいただければ幸甚であります。誠にありがとうございました。そしてこれからも何卒よろしくお願い申し上げます。
令和6年11月25日
今日新聞社