埼玉県八潮市の県道陥没事故は1月28日午前9時50分に発生22日目に入った。トラックが陥没して74歳の運転手が生き埋め状態となり安否不明のまま今日に至る。同日午後1時の時点では、運転手との会話も出来た。1時すぎ、クレーン車でワイヤーロープを車体に装置して吊り上げを試みたが、けん引即座にロープが切断、陥没範囲は拡がり、現在直径40メートル、排水の量は毎分百立米という。地下15メートルまでに達した。
運転手救出の失敗や度重なる埼玉県知事らの記者会見で人々の目は鋭く、対応のマズさに批判が相次いでいる。
事故発生直後のワイヤーロープ切断が、この災害救助活動の士気を低下させた。
救助隊員の技量からすれば、考えられない程の状況の悪化が、深刻さを助長した。救命救急技術は、日本は世界のトップクラス、本来の能力では発生から数時間の勝負になるハズだった。
原因は道路の陥没から、地下土砂の流出、硫化水素ガスの充満、次いでマスコミ対応のマズさもこれに加わった。救助の失敗は現場の状況判断だけのものではないようだ。隊員は命懸けだが最高指揮官に「有事即応」の気運が欠落していたのではないかと感じた。
東日本大震災当時、東京電力の原発がメルトダウン寸前。冷却炉用に自衛隊がヘリで空中放水、東京消防庁はハイパーレスキューで地上から放水、決死の覚悟で影響拡大を抑え込んだ。担当者は完全な防御服を着用、放射線の線量計を携帯してこれに臨んだ。当時の東京都知事石原慎太郎は涙を流してハイパー部隊を労った。作戦の立案、計画、実行まで一連のスピーディー処理と自衛隊、東京消防庁の士気は今更記載するまでもない。
指揮官の平時は、職場職務の「生き甲斐」について教育演練、いざ実践では「死すべき場合をば一足も引かず」の心構えを促した。「二次災害」という安易な仮想はくり返さず、同行指揮官は生きて全員を「連れ帰る」が合言葉だったという。
たとえば自衛官の入隊宣誓には「…日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し…強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨くでは危険を顧みず…もって国民の負託にこたえる…」とある。「事に臨んでは危険を顧みず」には頭が下がる。災害派遣、「有事」は自らの命をかける覚悟が求められ、また彼らはこの真意を抱いて毎日を過ごす。
指揮官が命、その魂を求める時は必ず来る。また、危機が彼方から着実に近づいて来ているという事実もある。
消防官の宣誓では、「…全体の奉仕者として厳正かつ公正に消防職務の遂行に当たることを固く誓う…」
警察官は「…何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、…公平中正に警察職務の遂行に当たることを固く誓う…」公務員の宣誓とは地方の場合、その地方住民、国家の場合は国民に対して誓うものである。埼玉県知事は「東日本…」当時、民主党所属の参議、外務畑に精通が評価され知事選へ。知事職は警察、消防はじめ自衛隊など治安関係にも出動要請をする権限がある。これにも精通した人物と聞く。
地上救出がダメなら、大型ヘリを上空で待機させ(ホバリング)車両を吊り上げる手段も。救助隊員の酸素ボンベは30分が限界なら、ダイビング用のボンベと無線通信機を備えたシステムを投入して作業時間の延長にトライしてみる方法もあった。もちろん作業中は半径少なくとも2~3百メートルの県民は一次避難を指示、送水送電は全てシャットダウン。都市機能は完全にマヒするが、ひとりの命を救うため国や県はここまでやり遂げたという評価は何ものにも変えられないハズだ。加えて最高指揮官として、国民を救う「英雄」を育て上げるという責務とその権能もこれに加えておきたい。 (陽)