油屋熊八翁と縁のある人へ

高岸隆太郎さんから寄贈された油屋熊八翁の扇

 両親が亀の井バスで働いていたという生嶋光生さんに先月、生嶋さんの同級生で割烹なるみの高岸隆太郎さんから油屋熊八翁直筆の扇が寄贈された。
 扇は、高岸さんの本家の仏壇の中にあったという。熊八翁は割烹なるみに行き交流があったことから、熊八翁直筆の扇が贈られたようだ。
 割烹なるみの歴史は、大正3(1914)年に高岸源太郎、ナル夫婦が別府へ来て、すし屋「なるみずし」を開店から始まる。翌4(15)年に料亭なるみ(妻の名前の「なる」に「み」を加えた)を開店。初代源太郎氏が昭和26(51)年2月15日、享年75歳で死去。二代目の克郎氏が「天ぷら虎徹」を楠町本店横に併設。40(65)年3月、移転のために楠店閉店。翌41(66)年に北中砂原に「なるみ」を開店。61(86)年に閉店。62(87)年に石垣東10丁目に「虎徹」が新築営業再開し、責任者は克郎の次男、隆太郎さん。
 初代の高岸源太郎さんは、大阪で料理道の修行に入り、職人時代から「金次郎」と名乗っており、気性が激しく正義感の強いということから「鉄砲金」と呼ばれていたという。
 熊八翁と割烹なるみの関係が記されているものに「別府なるみ 創業者 高岸源太郎傳」(非売品)がある。そこに「源太郎は熊八翁を先輩として尊敬し、親交していた」とある。また「高岸家に熊八翁が描いた扇子が保管されている」ともある。扇子には「大正十五年十月六日 瑞典皇太子殿下 御成の光栄に浴したる日之を画く 長者賀原 帰途落馬負傷 新生記念 初三郎画伯門下 油屋熊八」と記されている。この瑞典皇太子はスウェーデン皇太子のことで、同年12月25日に元号が昭和となっている。扇子は、熊八翁が親しくしていた数人に記念として寄贈したという。
 今回の扇も、前述の文章が書かれており、太陽と笹の絵が描かれている。
 高岸さんが扇を見つけたとき、本紙に掲載された「別府史談会の春季研究発表会」の記事を思い出し「生嶋さんの両親が亀の井バスに務めており、熊八翁とも縁がある人に持ってもらいたい」と考え、寄贈している。
 生嶋さんは「鳥瞰図絵師で大正の歌川広重と呼ばれている吉田初三郎の門下と書かれたものなので、この扇は歴史的価値がある。大正、昭和、平成、令和と時代を超えたが、仏壇の中にあったということで日焼けなどはしていない。隆太郎さんが私にこれをくれなければ、世に出ていないし知らなかった。扇をきっかけにいろんなことが紐解かれていった」と話した。