背信の戒め

 公明党が連立から離脱した。高市早苗自民党総裁は斉藤鉄夫公明党代表から「一方的」に離脱表明を受けたとの事。直後のインタビューは穏やかな口調ながら、双方とも少し感情的になった部分が垣間見られる。公明党の党方針は▽靖国問題▽外国人対応▽自民党の政治とカネ――の3点に改革を求めていた。靖国、外国人は大方の同意を得たが、「政治とカネ」に対する解決は先送りになり続けている事が問題として、「いったん白紙に戻す」として離脱になった。
 公明党は1964(昭和39)年11月17日に結党した。スローガンは「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」この年の10月10日が東京オリンピック。今年61周年になる。常に「大衆」が前提であり、今もこの党スローガンはとくに地方政治に生き続けている。
 政権離脱の原因たる自民党の金権体質を「今更あげつらっても…」の風潮もある。また公明は26年間の連立で、自民との馴れ合い体質、閣僚ポストは国交相が定番という反省すべき点もある。
なぜ高市氏の就任直後、なぜこの時期なのか。高市総裁の誕生は、新たな自民は、新たな保守主義でもあり、守旧主義やポピュリズム、原理主義的なナショナリズムではないハズだ。「高市総裁を生んだ出生の本質が、旧態依然の自民の偏狭な人間関係にあることから、公明をして「ノー」と言わしめたのでは。
 自民の「裏金議員」といえば、しでかした感があるが、我々大衆からすれば脱税行為であり、中小企業者なら社会的評価の失墜と、懲役や罰金刑もまぬがれない。党の役職停止1年間の処分で全てが完了するなど、国民の中にある感覚とは程遠い。
 さて首相の石破氏はといえば、党の存亡の危機にある時、戦後80年の見解という、やたら長ったらしい文章を出して太平洋戦争はなぜ起こってしまったのか…なぜ止められなかったのかというテーマをもとに、反省オンパレードの拙文を公表。この時期に80年の「見解」か。
 大衆に向って語れ!相手の言いたい事をその真意を知れ、進むべき道を知れ。
 空転を続ける国会議員の皆さん、大衆から背を向けられたら日本は終わるぞ!  (陽)