自衛隊大分地方協力本部長

被災地で「ありがとう」の声

米村 謙一(よねむら けんいち)さん(51)

 「協力本部は自衛隊の『入り口と出口』のお世話をします。つまり、若い人の募集業務と退職者の再就職支援です」と口を開いた。
 別府や湯布院の陸自駐屯地である夏の盆踊り大会、各種行事、自衛艦の別府港入港歓迎式と多くの行事が展開されている。「それらの行事を見てもらい、自衛隊を身近に感じてほしい。現役の自衛官は今の訓練で身につけたスキル(実力)は無駄になりません。任務をやり遂げて再就職するときは協力本部を頼ってほしい。調理師、運転手、警備員、企業管理職と多方面に道は開けています」と力を入れる。
 昭和50年3月16日、別府市亀川四の湯生まれの51歳。「父親が自衛官で小学校は3回転校した。別府、大分、玖珠に友だちがいます。長野別府市長は大平山小学校の一つ後輩」
 大分雄城台高校卒。防衛大学校では応用化学(火薬学)を専攻した41期生。
 湯布院駐屯地を皮切りに上富良野駐屯地、真駒内、朝霞、福岡と各地を回り、市ヶ谷で渉外班のとき河野太郎、岸信夫両元防衛大臣の秘書役を務めた。
 またコロナ禍では「ワクチン接種センター」のプロジェクトチームの一員として東京、大阪で「1日1万人接種作戦」に従事。
 前任地の姫路では司令兼中部方面特科連隊長のとき能登半島地震の部隊派遣で孤立集落の住民のため毎日リュックサックでガソリン、灯油、食糧を運んだ。
 「きついこともあります。しかし能登半島震災では被災地の子どもたちがくれた手紙を宿舎にはる。『ありがとう』の一言が嬉しかった」と語る。
 昨年8月1日付けで協力本部長に着任し、あいさつ回りもほぼ終わった。今は安全保障の勉強会や防衛白書の説明会を開いている1等陸佐。
 趣味で金魚を飼っている。智美夫人との間に子ども2人に恵まれた。