母校鶴見丘に恩返ししたい――石垣東7丁目で古美術商を営む髙橋郁さん(大徳美術代表取締役=鶴見丘高校30回生、昭和53年卒)が、ベッチンで装丁された書籍を今日新聞社に。
調べると県立別府鶴見丘高校の前身である、「旧制大分県立別府高等女学校」昭和11年(1936)の卒業アルバム。別府高女第16回卒業生92人の青春記念誌である。
さっそくページを開いてみた。
校門ゲート(現在の山本病院)、鶴見山の風景からスタート。次いで奉安殿と校旗。別府の「別」がデザイン化された校旗は、別府市のロゴマークの原形か。当時の校長大元玄一氏の写真と同氏の揮毫。次のページには校舎とシンボルの「一つ松」。学内施設から教職員の顔写真。男性はソフト帽にスリーピースとオシャレで決めた先生、女性教諭は全員が着物。何と、この中には「一つ松」会の会長を長く務めた河村無我さんの若き日の姿も。
昭和10年、11年といえば憲法学者の美濃部達吉博士の天皇機関説、満州皇帝溥儀の初来日、芸能界では東海林太郎、ディックミネが次々とヒット曲を発表した時期。大正デモクラシーの流れが終えんを迎えようとする、日本人にとってつかの間の自由を謳歌した時代でもある。
ページを進めると施設や授業風景。女子高らしく裁縫や家事実習も大きく取り上げられている。このあと校内外活動は学芸部の音楽祭、昭和10年アメリカとの親善交流「人形使節歓迎会」の模様、敬老会参加活動など興味深い内容が現れた。課外活動は城島高原への遠足、餅ケ浜での水泳大会。運動部はバレーボール、テニス、卓球、陸上の各部が紹介されている。また修学旅行は伊勢神宮、奈良法隆寺、京都に足を運んだ当時のスナップ。このあとは高女16回生の「松」、「竹」組に分かれたクラス全員の顔写真。いずれも当然若々しい。表情はキリッと引き締まった“文武両道”に秀でた女学生の姿が。
アルバム編集は教諭の「谷川熊吉氏」。写真撮影は別府市内の「船越写真館」、印刷は和歌山市小松原通りの「大正写真工芸所」と記してある。アルバムは郷土の歴史資料として前述の髙橋氏が買い入れたもの。骨董書画鑑定の第1人者として知られた存在。
今年創立110周年を迎えた別府鶴見丘の母体は、1910(明治43)年開校の「私立別府女学校」。この後「県立別府高女」となり、昭和9年に開校した「旧制別府中学」と合併して昭23年に「別府第一高等学校」、昭26年に現在の「大分県立別府鶴見丘高等学校」と改称され今日に至っている。
鶴見丘関連の史料として当社に落ち着き先を求めた。
小社は鶴見丘高校内の「鶴嶺会館」に収めるため、5日の鶴嶺会総会の席に届けた。
髙橋さんの善意で、高女の凛とした乙女達の「青春遺産」が、84年の歳月を経て母校に戻ることになった。