大分県立別府翔青高校の正門を通ると、優しい眼差しで迎えてくれる「青晨」、通称「乙女の像」。統合前の大分県立別府青山高校3年生の時に不慮の事故で17歳の若さでこの世を去った、首藤久美子さんをモデルにした像。長年風雨にさらされ、傷んでいたのを選択科目で美術を選んだ3年生20人が磨き、1月31日午前9時50分、お披露目されると共に、首藤さんの追悼式典を行った。1年生、吹奏楽部生徒ら約320人が参加した。
首藤さんは、病院で働く父親の姿を見て看護師になる夢を抱いた。平成元年2月2日、兵庫県立淡路看護専門学校の受験を終えて、共同汽船の高速艇「緑風」に乗船した。しかし、船は防波堤に激突し、首藤さんは帰らぬ人となった。その後、淡路看護専門学校の合格発表では、合格者名簿に首藤さんの名前があり、学校の象徴でもあるスイセンの花が添えられていたという。
首藤さんの日記から、学校や友達への思いを知った両親が寄付したお金を基に、日展評議員の溝口寛さんが作成した。年月が経ち、像の由来を知る人も少なくなる中で、新採用で赴任してきた美術教諭の渡辺友美さんが美術の授業の一環として像を磨きたいと学校に申し出た。偶然にも、渡辺教諭の誕生日は、首藤さんの命日だった。キレイに磨き、ワックスをかけた。
吹奏楽部が演奏する中、生徒が花道を作り、首藤さんの遺影を手にした父・頼親さん(88)と母・加代子さん(78)が歩いて学校へ。像にかけられた布を取ると、耀きを取り戻した「乙女の像」が姿を現した。
阿南典久校長が「これまで多くの後輩を見守ってきましたが、昨年10月から洗浄、ワックスがけをしてキレイな姿を取り戻しました。私も、同窓生の1人として、うれしく思います。精一杯生きた証だと思う」と話した。首藤さんの青山中学校時代の恩師である大城正二さん(74)も駆けつけて「通学する時、いつも家の前を通って、ニコニコしながらあいさつをしてくれたのを覚えている。看護学校に行こうと思うという話をしてくれたのが、言葉を交わした最後になった。大人しく、いつもニコニコしている印象の生徒だった」と当時を振り返った。
吹奏楽部が旧別府青山高校の校歌などを演奏。頼親さんは「皆さんのご尽力で、この日を迎えることが出来ました。生きたくても生きることが出来なかった人もいたことを忘れず、命を大切に生きて下さい」と亡き娘の後輩たちに語った。加代子さんも「明日はこないかもしれない。精一杯、悔いのないように生きてほしい」と思いを語った。
「乙女の像プロジェクト」に参加して、成松春香さん(17)は「像があるのは知っていましたが、由来などは知りませんでした。追悼式典で顔を見ることが出来た。同じ年なのですが、自分が死ぬということはこれまで考えていなかったけど、今回のことで像をキレイにしてあげたいと思ったし、しっかり生きていきたいと思った」と話していた。