「不戦の誓い」新たに

別府地区平和運動センター議長  酒井 純

酒井純別府地区平和運動センター議長

 夏の風物詩と言われる花火・祭り・高校野球など、終戦75年を迎える今年はコロナウィルスの感染拡大にともない、そのほとんどが中止や制限、規模縮小となっている。一日も早い終息を願ってやまないが、完全にもとの生活に戻ることは厳しいとされており、新しい生活様式が求められている。夏の風物詩と言って良いかわからないが、お盆の帰省すら一定の制限が求められている。
 私が子ども時代を過ごした昭和50年代、夏休みと言えばお盆の帰省だった。日頃会えない従兄弟たちと会うのが楽しみでワクワクした。今でもそういうご家族も多いと思うが、8月15日あたりになると、祖父母だけではなく、親戚一同が集まり、墓参りや地区の盆おどりに参加したものだった。仏間には、いつもより豪華に仏壇が飾り付けられていた。遺影の中に軍服姿の若い男の人のものがあって、白黒写真であったため、妙に怖かった覚えがある。そして、夜になると宴会が始まり、大人たちの昔話に花が咲いた。詳しいことは記憶していないが、祖父の弟は戦死しており(その遺影の若い人)、昔話の最後はいつもその人の話になっていた。「野球が上手でキャッチボールをしてくれた」「生きて帰れば結婚する予定だった…」その頃は終戦から30年以上が経過していたが、大人たちの記憶の中には「戦争」が色濃く残っていた。戦前・戦中・戦後を生き抜いた大人たちが語る言葉に、子どもながらに戦争の悲惨さを何となく感じていたのと同時に、日本は二度と戦争はしない平和国家であることに大人たちに守られていることを感じた。
 それからさらに40年が経過した現在、人々の記憶から「戦争」が薄らいでいるのは確かである。戦争を経験した人たちの高齢化が進み、その数も減ってきている。メディアの形態もここ20年の間に様変わりし、テレビ・新聞中心からインターネットへと移り変わってきている。時の流れには抗えない。しかしながら、先の戦争を経験した人たちの苦労があったからこそ、「草木一本も生えない」と言われた広島・長崎の復興や高度経済成長があり、豊かな国へと発展をとげていった。そして、その礎になったのが不戦の誓いをした「憲法9条」であると思う。平和であること・戦争をしないことの安心感が人々の生活を向上させている。敗戦からの戦後復興を経験した先人たちのDNAは、確実に現代を生きる私たちに受け継がれている。
 今、世界は目には見えない新しい敵(ウィルス)と戦っている。今こそ、手を取り合い、人間として「生きる」ことを最優先にするために、不戦の誓いである「憲法9条」の理念を全世界で共有するべきであると思う。75回目を迎える終戦記念日にあたって、これからも戦争を風化させることなく、8月15日を大切に考えていきたい。

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