印カン廃止の愚かさ

 「目立つ」ためには思い切った改革で衆目を伺う。役所の行革にハンコを省略するという。押印の意義を知らない西洋カブレだ。「印」は当事者の姓名や号、それに準じる意匠をほどこした固有の最終決断、承認を、何百年、何千年経ても劣化しない印泥(朱肉)を付けて、紙に押し付ける行為。
 数千年も前の文書とはその昔、故宮博物館で見た古代中国の科挙登用試験の合格通知や帝の勅令。そこにほどこされた印が目を引く。押印は日本に渡り、時を経て日常では出生届、婚姻届、各種資産売買、そして離婚や死亡届に用いられている。自署なつ印は個人の尊厳を強烈に印象ずける。「実印」に上下の印は付いていない。個人の「最終決断」をする場合、印の上下をもう一度確認するために、印の外側に上下の印がない。印面を確認する事でこの「結び」=契約などの文書に同意や個人の意志を再確認する最後の選択を残すために、印外側に上下の印(しるし)をあえて付けずにいるという。
 中国の文人墨客の作品は上質の紙を選び水墨画をほどこし、それに伴なう詩句を備え、印(落款)と印泥に徹底的にこだわった。どれ一つ欠落しても、作品とは認められなかった。画号にほどこした印の書体、印泥の色彩が絶妙でなければ作品価値は存在しない。我が国宝「漢委奴国王印」=かんのわのなのこくおういん=は、単なる国王印ではなく、国家形成(存在)を証明する。
 印章は我が国固有の文化になった。中国では文化大革命とともに一部を残し消滅した。日本の印は、たとえば「実印」の場合、印匠が個人の職業や人格に照らして合わせる。木か動物の牙骨か石か。印相は吉凶を踏まえ、直径1~2センチの枠内でその人物にふさわしい文字を想い、切り込みの鋭い刀で彫り上げる。文字や枠線は1ミリ以下、何分の1ミリの単位。失敗は許されない。印面を傷つけず、彫りと面の平行を保つ。所有者(家)の「弥栄」を願う印匠の思いで1本の実印が完成する。国民1億2千万人が所持できる固有の芸術品であり、日常生活の道具である。世界約70億人のうち1億2千万人のみが有する個人遺産とすれば、押印の伝統文化が少しは理解できるのでは。
 押印廃止(省略)の方針は「行革」になるか?いやならない!国に仕える官僚は、これが最終決断を証明するという、国に対する忠誠心の証しとしての「押印精神」を忘れてはならない。たかが「ハンコ」と軽んずるなかれ。印には「人を押さえつけて屈伏させる」という意味をもち、上から押さえつける「しるし」の事。即ち自分自身の首を意味する。時に臨んでは生きるか死ぬかを表わす。  (陽)

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