戦後の別府の原点は

元毎日新聞論説委員、ソウル支局長の
下川正晴さんが講話した

 別府大学は九州学第5回「戦後別府の原点」を17日午前9時から、同大学32号館400番教室と同館500番教室であり、学生約250人が聴講した。
 講師は、元毎日新聞論説委員でソウル支局長の下川正晴さんが務めた。
 飯沼賢司学長が「色んな角度から、そしてさまざまな人生を見ながら、戦後の別府の持っている性格が分かる。別府大学が原点から未来を考えるとき、大学のある別府を考えないといけない」とあいさつ。
 続いて、下川さんが「戦後別府の原点―『占領と引揚げの肖像BEPPU1945~1956』から」をテーマに講話した。
 「戦後の10年間は、占領軍がいた時代。別府をBEPPUと書いてあるのは、占領軍がいたので『BEPPU』がまかり通っていたからと説明している」と述べた。
 著書には、別府は普通の一地方都市でなく、戦前から国際温泉都市で、駐留米軍の光と影、朝鮮戦争への日本人の動員や米軍兵士相手のたくましい女性の姿が書かれている。
 山田洋次監督の母寛子さんにもふれており、別府大学の学生で、この経験がのちの山田洋次監督の「男はつらいよ」などを生み出す背景にあったという。
 自身について「私は聞屋(ぶんや)です。新聞記者のことをジャーナリストという人がいますが、おこがましい。給料もらって文章を書いているのですから。聞屋が相応しい。大宅壮一の評論家が言った言葉に『新聞屋は魚屋である』というのがある。一番新鮮なネタを仕入れてきて、読者に届ける。自分は関心して今でも使っている」と語った。
 そのほか、近代化と戦争の同時進行の象徴としての別府、などについて、映像とともに説明した。
 九州学は従来、一般も参加していたが、今年度は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、学生のみの参加となった。

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