別府市立浜脇中学校で閉校式

樋口哲司校長から長野恭紘別府市長に校旗が手渡された
生徒から樋口校長ら教職員に花束が手渡された

 別府市立浜脇中学校(樋口哲司校長)は22日午後2時、山の手中学校との統合により72年の歴史に幕を閉じるため、閉校式を行った。
 浜脇中学校の前身の別府市立第五中学校は昭和24年4月1日、創立。すぐに受け入れが出来ず、1年生と3年生が第一中学校(現山の手中学校)に、2年生は第二中学校(現青山中学校)に分かれて授業を受けた。6月になり、生徒たちが机を持って歩いて新校舎へ移転した。26年9月1日、別府市立第五中学校より別府市立浜脇中学校と名称を変更した。31年3月14日、校旗を制定。5月30日、屋内体育館落成。7月14日、貯水槽兼プール落成。その後、記念式典や校舎の落成、体育館の竣工などを経て、平成14年から自立式が行われる。
 校章の三角形は、前身の第五中学校の名残。昭和26年に中学校名が「浜脇」と改名された。新しい校章を考えるとき、当時の校長より「卒業生のために当時の五中の校章の一部を残してほしい」との要望があり、外側の三角形が決まった。校章は三角と外側の円でカタカナの「マ」を、内側の円で「ハ」を表しています。そして、校章全体で「質実」、「剛健」、「敬和」を象徴している。校舎は昔の浜脇公園に建てられた。当時は、一帯に桜の木が多かったので授業中の校庭でも、市民の花見の宴が見られたという。そのため、同窓会の名前は「桜ケ丘」と名付けられた。
 これまで、1万1920人が浜脇中学校を巣立っている。生徒の減少などから、山の手中学校と統合し、新たに「別府西中学校」として生まれ変わることとなり、3月末で閉校となる。
 閉校式には、1、2年生78人、卒業した3年生39人の計117人と学校教職員、少数の来賓が参加。新型コロナウイルス感染症予防を考慮した小規模の式となった。
 国歌斉唱後、樋口校長が「本校で学んだことを誇りに思い、新たな目標に向かって頑張って下さい。卒業生は4月からそれぞれの道を歩むので、浜中魂を胸に頑張って下さい。在校生の皆さん、浜脇中学校と山の手中学校の歴史と伝統が融合し、新しい学校のスタートします。西中学校の新しい歴史を作るのは、あなたたち自身です。皆さんのやる気と意欲を持って頑張って下さい」。
 来賓の長野恭紘別府市長は「浜脇中学校は幕を閉じます。しかし、皆さんが大切に育んできた絆や思い出は、これからも地域の財産として受け継がれていきます。この絆と思い出を新しい西中学校に引き継いでください」。
 松川章三別府市議会議長は「多くの卒業生が全国で、また別府市で活躍していると聞いております。そういった歴史のある浜脇中学校卒業生としては寂しさを感じていると思いますが、一方で新たに統合校となる西中学校に名前を変えて、山の手中学校の皆さんと新たな歴史を刻むことについて、期待していると思います」とそれぞれあいさつ。
 生徒を代表して江藤乃愛さんが「ついに浜脇中学校とお別れする時が来ました。2年前の春、浜脇中学校に入学したとき、私たちは2クラスでしたが、2年生になるとみんな一緒の1クラスになり、全員で毎日充実した日々を送ることが出来ました。私たちにとっては2年間でしたが、思い出いっぱいの浜脇中学校です。浜脇中学校の教室での日常が、明日で無くなるのはとても寂しいです。部活動で使っていた体育館も運動場も、もう使うことはありません。そう考えると、この浜脇中学校がとても愛おしいです。しかし、新しく西中学校が開校し、1、2年生は4月から通います。これまで積み上げてきた経験を西中でも活かし、新しい学校を山の手中学校の皆さんと一緒に作っていきます」と述べた。
 廣田夏帆さんの伴奏で生徒と教職員全員が校歌を3番まで歌った。
 続いて、樋口校長から長野市長に校旗が返納された。
 閉校式終了し来賓が退場後、お別れの会が行われた。
 会では、学校の歴史、部活動の栄光、行事、最後の卒業式などの思い出ビデオが流された。
 教職員全員と樋口校長のあいさつ後、生徒代表者の一人ひとりが花束を贈って、終了した。