長崎市に原爆が投下され77年目

午前11時2分、朝日中学生が各教室で黙とうをした

 別府市立朝日中学校(古田展久校長、467人)で平和授業が9日、行われた。
 9日は、第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年同日午前11時2分に米国が長崎市に原子爆弾(プルトニウム爆弾)を投下した。3日前の6日午前8時15分には、広島市が人類史上初の核攻撃(原子爆弾投下)が受けた。
 今回は、長崎とZoomを使っての平和授業となった。
 始めに、朝日中学校の生徒を代表して、平和学習を担当する学習委員会(田中琉己委員長)9人が「1945・8・9の別府」をテーマに発表をした。
 朝日中学校内で取ったアンケートの結果を説明。これには▽太平洋戦争時に長崎に原爆が投下されたことを知っているか▽広島に原爆が落とされた日が8月9日と知っているか―などの5点。アンケートの結果から▽原爆の被害については知っている▽広島に比べ、長崎の原爆についての知識が不足している―とまとめた。
 学習委員が取材した「戦争時の別府」で、主に別府公園に駐留した米軍について話した。最後にまとめとして▽別府市は軍の保養施設があったので、戦争の被害が少なかった▽戦後は、米軍のキャンプ地になった▽キャンプ地があった場所は、現在、講演や教育施設、観光施設になっている▽キャンプ地の時代から残っているものとして、チッカマウガツリーがある―とした。
 続いて、田上富久・長崎市長からのビデオメッセージが「長崎では平和記念式典を行います。その同じ日、同じ時に朝日中学校の皆さんといろんなことを考える時間を持てることを嬉しく思います。核兵器を使ってはいけない、核兵器を無くさないといけないということを、広島や長崎の人はよく知っているので、世界中に警告を発し続けてきました。しかし世界には1万3千発あまりの兵器があります。これからの未来に生きる人たちすべての問題です。核兵器の無い社会を作るために若い人たちも考え活動しています」と流れた。
 長崎からZoomで出席した被爆者の三瀬清一朗さんの「戦争・被爆体験」、第24代高校生平和大使の羽山嵩裕さん(県立島原高校3年、雲仙市出身)の「なぜ平和活動に取り組むのか等」、長崎平和宣言起草委員会の中村楓・ナガサキユース代表団、「Peace by Peace NAGASAKI」の前田真里代表がそれぞれ話した。
 午前11時2分、全員が原爆で犠牲になった人たちへ黙とうを捧げた。
 午前11時3分、田上市長が「長崎平和宣言」を行った。
 田中委員長(15)は「当たり前の日常が平和だということに感謝しないといけない。それを噛みしめて生きていきたい。平和授業を通じて、いろんな活動をしていることを知り、勉強になりました。身近な人たちに伝えていきたい」と話した。