WBCは日本が「世界一」で幕を閉じた。予選から目が離せない、劇的なシーンの連続。コロナ禍を吹き飛ばし、「再生可能なエネルギー」を日本にもたらした。
残念な事もあった。アメリカのベースボールTVで、大谷翔平やヌートバーのペッパーミルを痛烈に批判する放送があり、ベテランMCが批難の的に。大谷の偉大さは記述するより、本紙の読者の方が詳しい。ヌートバーのパフォーマンスは高校野球の選手が真似して、審判の指導を受け、甲子園では禁止?という措置に、「退屈なスポーツに成り、統制のし易い画一的な人間を生み出す……」と、高校野球を皮肉っている。
ここにアメリカ大リーグの「堕落」を垣間見る。「必要以上のパフォーマンス禁止」は統制ではなく対戦校や応援者への礼節であり、人間教育の指導の一環であることをアメリカ人は認識していない。ダルビッシュも大谷も、いや侍ジャパン全員が高校野球出身者であり、ほとんど全員が幼少の頃に見たWBCの名場面を心に刻んで「いつかイチローさんのような選手になる」「いつかWBCの舞台で……」が彼らの夢であり、人生の目標であった。幼き子らの夢が今日の現実を生んだ。
日本にベースボールが入ったのは東大の前身である旧制第一高等学校。詩聖正岡子規が「野球」と表現。投手、捕手、内野、外野とすべて日本語に訳され、今日に至る。「ベースボール」のメジャーデビューは、ニューヨークヤンキースのベーブ・ルース、ジョー・ディマジオらの来日、日本の職業人野球との交歓試合がスタート。アメリカの国技ベースボールは、日本の国技「野球」として今に生きる。甲子園という超高水準なハードルがその独自文化を継承し続けながら。
拝金主義的、利害得失を強調するMリーグとは違う世界がある。日本では彼らを「野球人」と呼ぶ。選抜された選手団を「侍ジャパン」と呼ぶ。野球とベースボールの違いが理解できなければ、日本の球界を論ずる事が出来ないのでは。メジャーリーグの皆さん、一度は日本の野球を楽しんでごらんなさい。「国技」としてのあり方が見えてくるのでは。 (陽)