市制施行100周年に協賛して

創業は江戸時代の享保10年、来年三百周年を迎える「みょうばん湯の里」

 1924(大正13)年、別府市制がスタートした。「国際観光温泉文化都市」の原型は人口36276人の地方の小都市。4月1日に百周年を迎える別府の人口は3倍強の112396人。年間約8百万人の観光客を誇る全国屈指の国際観光都市へと成長をつづける。百年の「長壽」を支える企業団体を調べた。記載の企業、団体は小紙が収集した情報をもとにしたもの。社名、団体名、代表者氏名は現在の名称、氏名とした。
 1725(享保10)年に創業した、最長老は、来年三百年になる㈱みょうばん湯の里(飯倉里美社長)。時は徳川吉宗の時代、側近の大岡越前守忠相の助言により「吉保の改革」を推進、町民文化が隆盛を誇った時代。時を経て明治維新の草創期1871(明治4)年、楠港開設に貢献したナタネ油の製造販売を手がけた野口元町の油屋(甲斐直彦代表)。1877(明治10)年、㈲岡本屋(岩瀬智昭社長)。79(明治12)年、竹瓦温泉開設。80(明治13)年、㈾讃州堂(末光弘太朗社長)。86(明治19)年、㈱三想(三浦求社長)。97(明治30)年、温泉閣(河野忠之社長)。
 1900(明治33)年、㈱関谷リゾート(林太一郎社長)。02(明治35)年、(医)博慈会内田病院(内田明宏理事長)。08(明治41)年、(学)別府大学(二宮滋夫理事長)。同年、㈾愛媛屋(二宮秀行社長)、同年、永井製竹㈱(茶重之社長)。09(明治42)年、いろは商事㈱(河原三絵社長)。10(明治43)年、㈲坂本長平商店(坂本雅代社長)。同年、㈲塩月堂。同年、㈱高橋正現商店(高橋正明社長)。11(明治44)年、大分瓦斯㈱(福島知克社長)。同年、㈲大倉菓機(大倉崇史社長)。同年、長門一磨タタミ総本店(長門環社長)。同年、JR別府駅(荒巻良考駅長)、JR東別府駅が開設。
 明治を経て大正デモクラシーが開花する。16(大正5)年、木村写真場(木村裕次社長)。同年、㈾つちや製麺工場(土谷俊二社長)。同年、㈲友永パン屋(友永亨社長)。同年、みのや商店(近藤健司社長)。同年、三保醤油㈱(川島賢一社長)。19(大正8)年、ニューツルタホテル(鶴田浩一郎社長)。20(大正9)年、㈲小谷商店(小谷満治社長)。21(大正10)年、岩尾竹藍(岩尾一郎社長)。22(大正11)年、大分みらい信用金庫(森田展弘理事長)。同年㈲原タイコパン本舗(原博司社長)。野口病院(野口凉子理事長)。23(大正12)年、㈲安達紙店(安達ひとみ社長)。24(大正13)年、京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設(大倉敬宏施設長)が13年1月。同年4月1日施行の別府市より3カ月早く地球物理学研究所でスタートした。
 記載した企業事業所の「別格」として千年あるいは千年を越した歴史を刻むのは八幡朝見神社、火男火売神社、八幡竈門神社。また別府市最古の寺院は東別府にある宝龍山宝満寺で由来記では718(養老2)年となっている。
 特記すべきは、「別府地獄組合」傘下の各地獄。最古は約千3百年前「豊後国風土記」に赤湯泉として登場したのが、血の池地獄(松田隆社長)。1923(大正12)年に龍巻地獄(伊藤敦司社長)。1926(大正15)年、かまど地獄(宇都宮貴社長)。1931(昭和6)年、白池地獄(加藤薫社長)。鬼石坊主地獄(千壽智明社長)は2002(平成14)年に復活した。
 施設としての最古は1910(明治43)年の海地獄(千壽智明社長)。「地獄めぐり」のスタートは油屋熊八翁が1928(昭和3)年バスで遊覧したのが始まり。起業スタッフには23(大正12)年温泉によるワニ飼育に国内初の成功を納めた鬼山地獄(上月敬一郎社長)の宇都宮則綱氏も名を連ねている。
 ▽上梓して気付いた事に、各企業、事業所の名称は読んで字の如く、事業内容や歴史的背景を感じさせる表記でした。当然ながら、いたずらに横文字を使うことなく、名称自体に生業への矜持を備えているようでした。
 各社がこれからの百年、隆盛を維持し、さらに百年後には新たな長壽企業が名を連ねることができますよう祈念して結びとします。
 ※本記は市政百周年協賛として掲載しました。御愛読者皆様のなかで、大正13年以前に開設、創立した事業所等、ありましたらご一報願えば幸甚です。後日追記として紹介させて頂きます。
       (陽)