より開かれた議会目指し
3月22日付で第56代の議長に就任した。
平成15年の選挙で初当選を果たし、現在は5期目。平成21年に建設水道委員会委員長、22年には副議長、26年に予算決算特別委員会委員長を歴任した。公明党議員としては、4人目の議長。
「人前で話すのは苦手だったので、どうかなとは思ったのですが…」と振り返る。
「相談を受けて、はじめて困りごとのことを知り、行政の仕組みや制度について勉強をさせてもらい、今日まで議員を続けることが出来ました」
「議員になった当初は、当時、コンビニの前に子どもたちが集まって人目も気にせず、座り込んで食べ物を食べていたりしていたのを見て、中高生の居場所づくりが大切だと感じて、取り組んできました」と話す。同様の取り組みをしている先進地があると聞けば視察に行き、話を聞いた。
別府湾サービスエリア内に設置されたスマートインターチェンジの開設にも力を入れた。「当時、公明新聞にスマートインターの話が掲載され、ゴールデンウイークなどで別府ICが渋滞しているのをよく見ていたので、これを導入すれば、あまり経費もかけずにやれると一般質問でしたことがありました。私の質問とは関係なく、別府商工会議所も同様の動きをしていて、タイミングが合ったのだと思いますが、今では上下線ともに導入され、近隣の観光施設にも行きやすくなったと思います」と話した。
すべての定例会で一般質問を行ってきた。「この質問をすることで、市民に利益があるかを一番に考えるようにしている」という。
長野市政とは「是々非々でやっていく。執行部と議会がよく話し合う必要があると感じている」と語る。
明治大学法学部卒業後、民間企業に勤めて、祖父母と同居するために別府市に移り住んだ。「大学生の時は合唱団で指揮者をしていて、その時の仲間とは今でも連絡を取り合っています」と笑顔。
家族は、妻と2女2男で、現在は、照波園の自宅で夫婦水入らず。山口県岩国市出身。