日出町の偉人・帆足万里の172回忌の忌辰祭が14日午前9時、墓前で執り行われた。これまでは、コロナ禍の影響で実行委員会のみで行ってきたが、今年は、4年ぶりに町立日出小学校の児童も4年生69人、6年生69人が参加して多くの関係者が参列した。
帆足万里は、「豊後の三賢人」と称される日出町出身の江戸時代後期の儒学者で経世家(政治・経済の論者)。教育者として、家熟「稽古堂」や私塾などを通じて、生涯の年月、多くを門弟の育成に情魂を捧げた。学者としては、和・漢・洋の学問、医学・天文学・歴史・兵制など幅広し分野に通じていた。また、政治家としても才能を発揮し、天保3(1832)年から約3年間、日出藩の家老として財政的に行き詰まっていた日出藩の藩政改革に取り組んだ。
式典でははじめに、児童が「万里先生賛歌」を斉唱。工藤智弘実行委員長が「帆足万里は、豊後の三賢人と呼ばれた偉人で、その功績と人物像を広めていきたい」。本田博文日出町長は「子どもの頃から学問が好きで、その功績は高く評価されています。ホーバークラフトの1つにその名前がつけられ、こういう形で名前が広がることはうれしく思っています」とそれぞれあいさつ。
菩提寺である龍泉寺の山崎祐介住職が読経を行い、参列者が焼香して冥福を祈った。