このほど防衛大臣を退任した岩屋毅衆議院議員が18日午後4時半、今日新聞社を訪れた。
約1年間務めた防衛大臣として一番印象深かったことを聞かれ「韓国主催の国際観艦式に友好国として艦艇を送ろうと計画していたが、自衛官旗の旭日旗がつけてきてはいけないルールを開催直前に韓国が決めた。海上自衛隊の旗は、隊員にとって誇りの対象でもあるので、それをつけないでいくのは適切ではないと至り、取りやめた」。
韓国と対話をして、解決しないといけないと思っていた矢先にレーダー照射事案が発生した。
「公表したら、韓国が猛反発し『日本の哨戒機の飛び方が悪い。低空飛行だ』と言い出し、認めなかった。トップ同士で会った結果、その後は沈静化したので、最初のハードルは超えたと感じた。外交関係は別として、有事の際は日本と韓国、在韓米軍、在日米軍、自衛隊、韓国軍が連携できないのでは障害になるため、安保だけは手を結ぼうと努力していた」と語った。
しかし、貿易制度の絡みを受けてGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)の破棄が通告された。
「日韓の安全保証関係を修復しようと努力していた最中に退任することとなり、そこが一番の心残り。後任の大臣に託して、なんとか改善を図ってほしいと思っている」と述べた。
23年間、宙に浮いたままの沖縄の普天間飛行場移設事業については「今後こそ片付けて、普天間飛行場の全面返還を成し遂げて、沖縄県民の負担軽減になればと思った。埋め立てを始めたのは、厳しい決断だった。わずか11カ月の任期中に7回、玉城デニー県知事に会った。『これをやらないと、普天間飛行場は戻ってこない。普天間は返せ、基地は作るな、代わりのものは作るなでは、いつまで経っても、前に進まない』と言ってきました。最終的には、沖縄県民の理解をしていただけるように丁寧に進めていってもらいたい」と話した。
そのほか、イージス・アショアのデータミス、任期中に北朝鮮から10回撃たれたミサイル問題などについてふれた。
「今後は、党や国会の立場から防衛省や自衛隊をしっかり応援していきたい」と語った。