オリンピック、やるかやらんのか!?―――「コロナ感染拡大最大の危機」「犠牲者が急増の国難」と煽る声ばかりが聞こえるが、これは「やれる、やれん」より、やらなければならない、日本の正念場。新型コロナウイルス感染症は人為的に2つの分子が組み込まれた、中国産の「人工ウイルス」と、台湾出身で毒性学権威、米コロラド州立大名誉教授の杜祖健博士(地下鉄サリン捜査協力者、旭日章を叙勲)が学会で発表。五輪を放棄すれば、「人工ウイルス」に敗れた「敗戦の国」となる。
初めて日本で開催された東京オリンピックは、1964(昭和39)年この年を起点に「高度経済成長」に向かった。この年に生まれた人は57歳になる。それだけではないこの年、我々大分県民、別府市民は別の観点からも五輪を論ずる「資格」を有す。「パラリンピック」である。起源は1948(昭23)年、英国ロンドン郊外の病院「ストーク・マンデビル」でアーチェリー競技会。その後、第2次大戦で主に脊髄を損傷した兵士のリハビリの一環として行われた競技大会が、1952(昭27)年に国際大会となり、年を経て2012「パラリンピック・ロンドン大会」では20競技で164か国から4300人が参加した。
大会拡大起源の1つは「別府の太陽の家」。1965(昭40)年東京五輪の翌年、中村裕博士らの手によって開設。国立別府病院整形外科科長だった中村博士は1960(昭35)年イギリスのストーク・マンデビル病院に留学。障がい者の機能回復訓練としてスポーツを取り入れた治療法を研修して帰国。翌年1961(昭36)年10月22日「第1回大分県身体障害者体育大会」を全国で初めて実施。「身障にスポーツなんて……」と揶揄された頃、中村博士のこの情熱が東京パラリンピック開催に奏功した。東京五輪終了直後の11月8日、第2回東京パラ大会は21か国378名が参加。ここから競技種目が大きく増える。障がいを有する人々、その多くは「自らの責めに帰すべからざる事由」によってもたらされた障がいだ。今一度、我々は強く再確認すべきだろう。
オリンピックは「パラリンピック」を成功させるための大きな布石という価値観を連動させると考えるべきでは。大分県はパラリンピック発祥の原点に極めて近い存在である。愚生のこの拙文は、社会的弱者に救済を求めるための慈善的意識ではもちろんない。
東京2020開催のスローガンは「東日本大震災復興」を高らかに掲げた。忘れてはならない。2万人を超す人々が犠牲となった。日本はこれを乗り越えた。次は「新型コロナ」。心配するな!人が作ったもの。人間の力で乗り越え「勝利」を収める事が出来るハズだ。「人生」をかけた競技者達が全世界から集まって来る。この日本に。1分、1秒、千、万分の1秒に魂をかける瞬間が訪れる。この姿を見て人々はまた歩み始める。舞台を整えておけ2021年7月23日を迎えるために。 (陽)