約1年間、防衛大臣をつとめた衆議院議員の岩屋毅さんが内閣改造にともない離任。久々に故郷に戻った。このほど小社を訪れ慌ただしい中、1時間のインタビューを受けてくれた。
就任直後から韓国との行き違いが生じたり、北のミサイル発射(10回)、航空自衛隊機の遭難、相次ぐ災害派遣、沖縄基地問題などなど、岩屋大臣、新聞TVに引っ張りダコ。これほど脚光を浴びた防相は今までに無い。
「ネトウヨ」と呼ばれるネット右翼は韓国対応に「岩屋は生ぬるい!」と挑発をくり返した。「岩屋は韓国寄り」と悪態もついた。
本当にそうか?日米韓の安全保障体制の維持のため、最後まで冷静に対応した岩屋氏の「忍耐力」は評価されるべきだろう。反日に燃える現在の韓国社会にあって、岩屋氏の存在こそが、隣人韓国の「最後の砦」だったのでは?
離任後の感想、地元では素直な言葉が飛び出て来た。「まだまだヤリ残した事があります。私としては志半ば。韓国国防相と1対1で会談した時は、キタンない意見で日韓両国の安全保障の重要性が共有できた。普天間問題には徹底的に対応して、玉城沖縄県知事との面談を重ねて来た。23万自衛官はもとより、彼らを支える隊友会、家族会はじめ支援組団体、企業ともいい関係が構築できた。まだまだやらなければいけない事だらけでした……」「政治生活30年、政治家冥利につきたこの1年間でした。正直なところ私自身、ガチガチの改憲派ではありませんでしたが、『自衛官』の存在意義を改めて国民の皆様に訴えかけていくため、1人の政治家として憲法改正をめざします。」とキッパリ。
安全保障という政治現場、「実戦」である。終生現役の気概が求められる。 (陽)