別府赤銅御殿 白蓮事件の真相は…

20人が参加した講演会

 楠町で就労継続支援A型や就労移行支援をしているセントエイブル福祉会(羽生正宗代表理事)は別府赤銅御殿常設メモリアル展に伴う6月講演会を28日午後1時半、青山町の「あかがね青山鍼灸院」で行った。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、換気を行い、参加者20人はマスクを着用し、入場時に手指消毒をした。
 講演会の演題は「宮崎龍介が語る白蓮事件の真相」で、講師は同メモリアル展のプロデューサーであり、元町の平野資料館館長の平野芳弘さん。
 「柳原白蓮こと宮崎燁子は27歳の春、伊藤伝右衛門氏に嫁いだ。伊藤氏は女の出入りが多く、私生活もかなり乱れていた。宮崎龍介氏と大正9年1月、別府市の別荘で出会った。その後、文通を経て、10年10月20日、燁子が家出を決行。22日に大阪朝日新聞紙上に伊藤伝右衛門宛ての絶縁状が掲載された」と白蓮事件の内容を説明。
 その後、宮崎と柳原は同棲を始めて二カ月経った冬、柳原家が白蓮を連れていき、方々に監禁した。監禁は12年9月1日の関東大震災までの約1年半、続いた。宮崎のところには、毎日のように「悪党」「国賊」といった罵詈雑言の手紙が山ほど届いたという。また、右翼の壮士3人が乗り込んできたときの話などを述べた。
 休憩後、特別ゲストの三代目流しのはっちゃんが登場し、「麗人の歌」「ふるさとは今も変わらず」など5曲を演奏した。参加者は手拍子などし盛り上がった。
 参加した女性は「すごく良かった。宮崎さんのことも知れた。初めて知ることもあり、勉強になりました」と述べた。

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