高校野球界で“猛将”で知られた、元県立別府鶴見丘高校野球部監督の山本晃正氏(元やまもとフルーツ代表)が今月、米寿(88歳)を迎える。鶴高野球部の「教え子」たちが「よねの祝い」を行った。山本さんは「テルマン」の愛称で知られた人。現在の別府鶴見丘である旧県立別府第一高等学校3回生(昭和26年卒業)の野球部主将時代に甲子園に初出場。戦後間もない人心荒廃の日本にあって、新制高校のアスリートとして活躍、一躍「別府」の名を世に轟かせた。卒業後は家業の青果商を営む傍ら、母校鶴見丘で野球部監督に就任。昭和31年、昭42年の3回甲子園へ。野球指導は「スパルタ」そのもの。今時はパワハラで訴えられる程の熱血指導。このあと、盟友の故脇屋長可別府市長の「熱望」により、市立別府商業高校の監督に就任。直後に甲子園初出場の栄冠に輝き、市政60周年の錦上に花を添えている。
「やまもとフルーツ」代表としては、脇屋市長、友永文月会頭時代、亀川の公設市場の経営合理化、北浜再開発、商業近代化計画に参加、地元銀座商店街振興の旗頭で、業界や経済界のリーダーとして積極果敢な活動を積み重ねた。時折、組織団体の意見衝突、敵味方に分かれても、根っからのスポーツマンの山本さん、彼我の別なく周囲と接して高い人物評価を誇った。
教え子の野球部員からは、山本門下として、人生相談から進路、就職、頼まれるままに結婚式の仲人や名付け親まで引き受け、世代を越えた山本ファミリーの結束力は今でも強大だ。山本さんが育てた人材は、大分県内外に拡がり、市内では別府市議会、市役所、商工会議所、観光協会をはじめとする各種組織団体をけん引する役割を担って今日に至っている。
米寿の祝いは鶴高野球部OB有志が声をかけ、24人が亀の井ホテルにつめかけた。代表世話人は愛弟子の1人、往年のスラッガー黒木愛一郎さん(第53代別府市議会議長)。祝賀会は愛妻の晴美さん、長男で門下生の真司さん、長女の杏子さん、孫の翔太君と山本一家総出。
世話人の黒木さんが「監督は今夏に店を閉めて淋しい思いをしている事と感じ、米寿を企画しました。コロナ禍の影響で市内在住者を優先に声をかけさせて頂きました。残念ながら欠席の会員は口々に『奥様にくれぐれもよろしく…』との事。公私ともにお世話になっている監督への、せめてもの恩返しと受け止めていただきたい。今日は思いっ切り楽しんで下さい」とあいさつ。
記念品と花束を受けた山本監督は「歳を取った。妻や娘、孫におこられながらの毎日。免許証も返納して皆の顔を見に行きたくても行けない。こうして一堂に会すると、それぞれ皆さんの幼な顔を思い出す。ここにおられる方々が私にとって唯一無二の宝。まだまだ元気。毎日を頑張って生きていきたい」と感謝のことばをのべ、門下の友永文秋さん(高18回)の発声で乾杯、祝宴に移った。この日出席した「選手」は実弟で山本門下の山本泰敏さん(高15回)から最年少の永井辰巳さん(高36回)まで、幅広い年齢層の会員達。