原産地偽装

 「キムチ」は中国のもの?と、なれば「尖閣」は「南沙諸島」は…
 バカらしい論争が始まった。「キムチ」は元来中国国民の伝統であると韓国に物言いがスタート。
 中国のタチの悪さは、国連をはじめとするIWC、ユニセフ、WHOなど国際機関を巻き込んで、金の力と圧力で自国の利益を謳歌すること。
 「キムチ」は中国四川省の塩漬け発酵野菜「泡菜」=パッツァオ=の一種として、国際標準化機構(ISO)の認証を受け、表舞台で堂々と主張するようになった。これに異を唱えたのは当然韓国。ただ韓国も従軍慰安婦像と称する少女像を世界にバラ撒き、韓国系移民の多い各国主要都市議会に、日本の在りもしない悪口悪態をバラ撒き続けていること。キムチ合戦で韓国に加勢する動きが見られないのは常日頃の行いによるものか?
 中国「原産」で今も日本の社会生活の一隅を照らすものの1つに「儒教」、孔孟の教えがある。四書五経はまぎれもなく中国で生まれ海航あるいは韓半島を経て日本に入った。孔子門弟が師匠の没後、言行録をまとめた「論語」は、応神天皇の時代、百済(くだら)経由で伝来。全国津々浦々に広がり我が国民の人間形成や国家体制維持のため拡散され地方によっては孔子廟まで築いて教義を広めた。儒教伝来から、各学派は競って進化を遂げ日本の「国体護持」の真髄となった。
 昭和天皇が皇太子の頃、御進講の役を担った日露戦争の英雄、陸軍大将の乃木希典は、東宮御学問所所長として幼少の裕仁に帝王学を教示したが、その基本姿勢の典型は儒学者で、兵法学者の山鹿素行の記した「中朝事実」。ある意味中国の儒教と相対するものだが、理念は儒学が基本。とくに江戸前期から近代にいたる日本の価値感は儒教によるところが多い。
 日本の儒者は民衆統制より、為政者の戒めに力点を置いた。そして日本は自国の進化した文化として受け止めてはいるものの「原産」を偽ることはない。原産の偽りはまぎれもない詐取である。
 原産の中国はというと、文化大革命によって「造反有理」の合言葉とともに旧来の価値や権威そして伝統文化をことごとく破棄した。「新生」が唯一無二の価値感とすれば「原産人」が「原産地」か。高級ブランドのコピー商品を生産販売する事に罪悪感が生じないのも、時を経た「文化大革命」の効果か。天安門事件以来、若干の経済的自由と微小で申し訳程度の民主化により、体制監視から逃れた古来の文化が再構築されるようになった。
 儒教の「儒」の字は、徳をもって人をうるおす人の事を言う。中国も、そしてこの儒教を競って迎え入れた、北も南も人の心をうるおす力が足りていないようだ。
 最近の中国「原産」は、何と言っても世界を震撼させた「新型コロナウイルス」。極めて短時間で地球を飲み込んだ。この原産地は偽装できない。  (陽)

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