葬送は国の手で

 凶弾に斃れた安倍晋三元首相の葬送をめぐって「国葬」にするか「国民葬」にするか迷走した。ズバリ「国葬」に決まった。逝去直後、従一位に叙せられ「大勲位菊花大綬章」を授与された。更に綬章に加え頸飾も。最高位で、過去吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘各氏に続いて4人目。頸飾は首飾り様のメダル紋様が四方にちりばめられている。大綬章の後に授与される。本来は天皇陛下はじめ皇族が対象の「勲章」。ほとんどは外国元首に授与されていた。
 安倍氏は日本の安全保障制度の確立、アベノミクス構築、積極的平和外交を貫いた、8年8カ月の史上最長の政権。選挙ともなれば全国津々浦々に足を延ばした。逝去の報に接した国民の多くは彼の死を心から悔んだ。盟友麻生太郎氏は「安倍先生には私の弔辞をお願いするつもりだった……」の言葉が人々の胸を打った。逝去後に統一教会との結びつきや、正負の遺産検証など、通り一遍の批判者が名乗り出ては売名行為にひた走る。この愚か者達の声を聞き、マジに受け止めると日本は本当にダメな国になり下がる。愚生が「国葬」を目にしたのは確か吉田茂氏の時11歳だった。昭和天皇崩御の際は「大喪の儀」という名目での葬送だった。
 命を懸けて国に尽した指導者を「国葬」にしないでどうする。戦時中、親日派として日本の占領政策に組した者を認定、故人の墓をあばいてまで名誉を失遂させるような、そんなお隣の国とは全く違う。国をあげて喪に服するという機会を、若い世代や70歳代以下の人達に伝えるいい機会でもある。単に安倍氏の業績や貢献を讃えるだけではダメだ。
 国葬とは国家の事業(行事)として、祖国が故人を最大限に評価、敬意を注ぎ服喪するという国民1人ひとりに継承すべき伝統「学習」。この目的からも挙行の意義はある。
 安倍氏に怨みを抱き凶行に及んだ海自出身の男、母親によって新興宗教に財産すべてを吸い取られ、家業は破産、実兄は自殺。元凶は教団と安倍氏と狙いを定めた。なぜ愚行に走る母を命懸けで守ってやれなかったか。全ては人のせいにする生き方、これは単なる「逆恨み」。「民主主義を暴力で圧する」など高尚なものではない。メディアの伝えるところでは、母親は息子の犯行後も教会への信仰は全く消えておらず、息子の行為を「教義に反する事」と言い放っているという。
 教義といえば「自分の命は懸けるもの。人の命は守るもの」と、自衛隊では教えている。  (陽)