「心意気」で支えられた祖国

 東日本大震災は15年を経て、被災各県はめざましい復興事業をくり返しているが、震災前の姿には戻っていない。死者行方不明者2万人を超した。
 風化させてはいけない記憶を、思い出すがままに綴ってみた。当時23万自衛官はその7割以上に派遣命令が出て、多くの隊員が東北の地に渡った。別府市から41普通科連隊を中心にほとんどが招集された。車両で派遣先の宮城県気仙沼市まで40時間。途中、名古屋の駐屯地で約4時間の仮眠を取って現場へ。
 災害派遣の非常呼集で、目的地は東北。3月とはいえ、厳しい冷え込み。隊員は九州の部隊だから、寒冷地仕様の配給被服は皆無。若年隊員らがユニクロのヒートテック下着を自費で用意した。車両にはカーナビが無いので、隊員所有のスマホでナビを受信して走行。高速道は非常時の優先ICや車線がないので一般車に混ざって進む。「有事即応体制の確立」は自衛隊、警察、消防のみならず総務省、国交省など関係庁省にも必要な「国防」意識だと痛感した。
 別府自衛隊は西方で唯一気仙沼市街地に「駐屯」した。市立条南中学校を借用してグランドに天幕を張りつめた。状況下の隊員の心得がある。▽大声を出すな▽笑い声を出すな▽人前でタバコを吸うな▽コンビニは被災者のためにあるので買物はするな▽派遣中の飲食は厳禁▽「ご遺体」と呼べ▽被災者に寄り添え――駐屯地糧食班の炊事は、被災者専用で3食は各避難所へ出前。隊員は缶詰やレトルトのコンバット・レーション。41連隊指揮所は一日の活動終了後、即座に幹部会議が開かれ、夜遅くまで連日の軌道修正がくり返された。指揮所には「官邸からのお願い」と記された当時の菅直人総理の災害時の注意事項をまとめたチラシが山のように積み上げられていたが、誰一人、手に取ったり被災者に届けようとする空気は無かった。
 在日米軍はというと空軍のパラシュート救助隊が仙台空港を人力で整備して航空機離発着にこぎつけた。太平洋艦隊の空母を主体とする打撃群は、米韓軍事演習参加で航行中、「日本を救う」の合言葉で「トモダチ作戦」を発令、先発の海兵隊が大型ヘリで気仙沼湾入口の大島に上陸して救援活動を展開した。
 義援金は世界174の国・地域から。米国の730億円、クエート400億円、台湾250億円、国内外総額5000億円の浄財が寄せられ、全日本人の77%が何らかの形で東日本に寄り添った。2011年は「寄付元年」と呼ばれた。諸外国は大国から、発展途上にある国々の人々が、日本に思いを寄せてくれた。
 「人の患難を見捨てず常に義理を重んじ、その心は鉄石の如く。温和慈愛にして物のあわれを知り、人に情けあるを『節義』とは申し候」――室鳩巣の「名君家訓」の一節だ。
 戦後80年、平和を希求し、他国を差別せず。温和慈愛に満ちた処し方を通したからこそ、困難な時に温かい思いやりが届いたのでは。
 憲法改正の主要件に自衛隊の地位確立があげられ、諸外国との紛争解決に武力を行使また武力を保持せずとある。これを改正するのが主目的。憲法9条を見直すと同時に自衛官が本来任務を遂行できる環境を作り上げる工夫が最優先されるのでは。「国旗損壊罪」や「スパイ防止法」は、一般の国家では当然の備えであり、論議すること自体がおかしい。憲法九条の条文では、戦後の参戦国が平和を希求する状況が今とでは著しく異なる。中国の覇権主義は台湾をはじめ東南アジア、アフリカ大陸にも及ぶ。ロシアは盟友の国、ウクライナに侵攻。北は核兵器保有を既成事実化しようとする。アメリカも超大国の威力をバックに力で諸国を抑えようとする始末。ここで我が国だけが平和を享受できるワケがないことは明らかだ。
 「一国平和主義」という甘美な妄想では、国は守ることが出来ない現状にあるのは御愛読者各位御高承のとおり。
 福島第一原発で飛散した放射能のチリが東北から関西までに広がった。地元東北は当然のようにどこよりも濃密だ。当時の駐屯地広報班長の小副川祐二さんに携帯で「すぐに別府に戻れませんか。危険な状況にあります。何とかなりませんか!」受話器のむこうは「ヘヘヘ…」とテレ笑い。「大丈夫ですヨ!この際私たち、放射能に強い体質を作って戻ります。少し毛がぬけるかもしれませんが(笑)」――何ともノー天気な返答が。こんな兵士たちの「心意気」がこの国を支えているのだった。  (陽)