別府保護区保護司会会長
4月の令和2年度役員改選で、会長に就任した。内竈の浄土真宗本願寺派西念寺の住職として知られた存在。
「保護司一人ひとりの活動をバックアップすることで、別府保護区としての活動となる。『オールフォーワン、ワンフォーオール』の言葉通り、1人の保護司が別府保護区のために、別府保護区は1人の保護司のためにある。バックアップ体制を整えた組織づくりをしていく」と切り出した。
保護司は、保護司法に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員。地域社会の中でボランティアとして、犯罪を犯した人や非行に走った人たちの立ち直りの援助や、地域住民からの犯罪や非行の予防に関する相談に応じ、必要な助言・指導を行うなど、更生保護行政の重要な役割を担っている。
髙橋会長は、平成6年9月に保護司となったが、保護司は同一家族で複数人は出来ないというルールがあった。父の哲夫さんが平成3年度から9年度に会長をしている中での就任を、当時の諸先輩、大分保護観察所などが認めて了承し、親子二代の保護司を受け止めてくれたという。保護司になってから、父哲夫さんが会長を務めていた3年間、改めて保護司としての守秘義務の大切さを学んだ。
「父は昭和25年に別府市での保護司1期生となり、私が中学・高校時代は、対象者を見たとき『絶対にしたくない』と感じていた。しかし小学校や鶴見丘高校のPTAを通じて、若い世代や子どものために出来ることを手伝いたいと思った。青少年健全育成のため、父の姿を受け止めることができた」と保護司になったきっかけを述べた。
髙橋さんは、会長の本郷宣雄氏、薬師寺哲雄氏の2人の下で平成9年4月から北分区長を務めた。前会長の藤内英伸氏の元、30年4月から令和2年3月まで副会長を務めた。同年4月、別府保護区保護司会初の親子二代の会長職に就いた。
昭和27年生まれ、別府市出身。
好きな言葉は「われ以外みながわ師」。若い世代から諸先輩、すべてが先生であり、多くのことを学んだという。
自宅に夫人と長男の3人で住んでおり、次男、長女、次女は自宅を出ている。