願成就時の懸仏を有形文化財に

木造懸仏の十一面観音菩薩像(左)と千手観音菩薩像
願成就寺の銅造懸仏

 日出町は8日、藤原にある赤松山願成就寺(あかまつさんがんじょうじゅじ)の「銅造懸仏(どうぞうかけぼとけ)」1面と「木造懸仏残欠」(もくぞうかけぼとけざんけつ)2面を日出町有形文化財(工芸)に指定した。
 願成就寺は、「日出の妙見様」と呼ばれ親しまれている「北辰妙見菩薩(ほくしんみょうけんぼさつ)」を本尊とする天台宗の寺院。一時期は真言宗に改宗されていたが、弘化3(1846)年に国東の文殊仙寺で得度した順照が再興して天台宗に復した。本堂には寺院創立期の本尊「薬師三尊」(大分県有形文化財)、真言宗の本堂「不動明王」、現在の本尊が安置され、仏像を通して歴史の移り変わりを見ることが出来る。
 今回、文化財に指定された3面は、牧峯神社(八所権現宮)御正体(みしょうたい=本地仏を表した神鏡)として祭られていたものと思われ、明治の神仏分離令に伴い、願成就時に移管・保護されたものと考えれている。
 「銅造懸仏」は、大型の鏡板に半肉の「十一面観音菩薩像」を鋳出した懸仏。無銘ではあるが、鎌倉時代後期に作られたものと推測されている。細やかな作りだが、直径は56・3㌢で、県下最大。
 木造懸仏は、「十一面観音菩薩像」と「千手観音菩薩像」でいずれも鏡板が失われている。像高は15㌢と小ぶりだが、牧峯神社御正体の小鏡の6面中の2面の尊像と考えられる。いずれも鎌倉時代後期から末期の制作とみられ、木造の懸仏の遺例は九州地方でも極めて珍しいと言われている。
 願成就寺に伝存する懸仏は、中世日出の歴史を色濃く示すとともに、六郷満山文化や神仏習合の姿を伺い知ることが出来る貴重なものとされている。

コメントを残す