「豊後の三賢人」帆足万里170忌

関係者が墓前で焼香を行った

 「豊後の三賢人」と称される日出町出身の帆足万里の170忌辰祭が14日午前9時、佐尾の墓前で行われた。新型コロナウイルスの感染予防のため、今年も関係者のみ約10人が出席して行われた。
 帆足万里は、江戸時代後期の儒学者で経世家(政治・経済の論者)。教育者として、家熟「稽古堂」や私塾などを通じて、生涯の年月、多くを門弟の育成に情魂を捧げた。学者としては、和・漢・洋の学問、医学・天文学・歴史・兵制など幅広し分野に通じていた。また、政治家としても才能を発揮し、天保3(1832)年から約3年間、日出藩の家老として財政的に行き詰まっていた日出藩の藩政改革に取り組んだ。
 墓碑は別府湾が見えるようにと、日出藩14代藩主・木下俊方によって建立された。墓石の一部は学業の向上を祈る人が持ち帰ったと見られ、欠けている。
 帆足万里忌辰祭実行委員会の工藤智弘委員長が「今年もコロナ禍での実施で、寂しいものがありますが、より多くの人に帆足万里の功績について知ってもらいたい」とあいさつ。龍泉寺の山崎祐介住職の読経が行われ、出席者が焼香をした。
 11月にはシンポジウムや記念館での企画展なども予定してる。