戦中戦後の別府の歴史伝える

米軍の「キャンプ・チッカマウガ」があった
別府公園を巡り、当時の様子について話を聴いた

 別府市教育委員会は、令和4年度平和を考える市民の広場を16日まで、市美術館で開催している。別府の歴史を知ってもらおうと初めてフィールドワーク「歩いて学ぼう!戦中戦後の別府~キャンプ・チッカマウガ~」を5日午後1時から、別府公園などで開催。6人が参加した。
 別府公園は、1946年から1956年まで、米軍が駐屯し「キャンプ・チッカマウガ」と呼ばれていた。キャンプ内は、宿舎だけではなく、劇場、レストラン、診療所、教会、パーティ会場などが建設されていた。当時、米兵たちが植えたヒノキが残っていて、「チッカマウガツリー」と呼ばれている。その後、陸上自衛隊の駐屯地として利用され、現在は公園となっている。
 講師は、別府路地裏ガイドで一級建築士、美術学芸員の土屋眞一さんが務めた。土田さんは「太平洋戦争で日本は敗戦し、米軍がこの土地に駐屯しました。ここの風景が、米国アラバマ州チッカマウガに似ていたことから、キャンプ・チッカマウガという名前になりました。レストランやローラースケート場などを作り、基地というよりも1つの町を作った感じ。木はほとんどそのまま残っていると言われています。松の木に的を作って射撃訓練をしていたことから、木に銃弾が残っていて、自衛隊が移転後に住宅地を作ろうとしたが、チェーンソーが銃弾に阻まれて切ることが出来なった。別府公園を米軍が守ってくれたようなもの」などと話し、チッカマウガツリーの横にある大きな石には、当時、キャンプのエンブレムが設置されていた跡が残っていることなど、写真を見せながら、当時の様子について説明をした。
 その後、歩いて別府市役所周辺や美術館を見て回り、戦争の悲惨さや平和の大切さについて学んだ。菅野愛美さん(12)は「親に誘われて参加しましたが、これまで普通の公園と思っていた場所にローラースケート場など色々なものがあったと知った。歴史的なことを知る機会になった。友達にも教えてあげたい」と話した。
 美術館では、スライド動画や戦中戦後の別府を見てきた佐藤トシ子さん、児玉嘉生さん、岡村照さん、大隈劭さんの証言をまとめた「あなたにつなぐ 戦中戦後の別府を生きた人々の記憶2」を上映。パネル展では、「原爆と人間展」で8月6日に広島、同9日に長崎に投下された原爆の惨状を改めて訴えた。
 他にも、絵本・折り鶴コーナーや「ウクライナとロシアそしてミャンマーを生きる子どもたちの絵画展」も行っている。開館時間は午前10時から午後5時(最終日は午後3時)で、8日と15日は休館日となっている。