「独裁」の傷は癒されず

 今年2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻して10カ月を経とうとしている。当初は首都キーウを10日以内に陥落させ、ウクライナ全土を掌握する「特別軍事作戦」と銘打っての出来事だった。ナチス化を阻止して西側に飲み込まれようとする旧衛星国を解放するという、「大義」をかざしての侵略行為。国連加盟174カ国中、141カ国のウクライナ侵攻の反対批判を受けた。戦況は日増しに、諸外国の支援を受けたウクライナに傾いた。この権威国家は、国際紛争の解決策の一つとして止むを得ず武力行使に走ったのではなく、自国の権威、権益、体制維持のために武力を行使した。
 世界は新型コロナウイルス感染症の猛威にさらされ、感染者は12月11日現在、約6億5千万人、死者は6百65万人にのぼる。
 権威国家といえば、ロシア、中国、北朝鮮が「主流」。ロシアは当初民間に危害を加えないと、何回となく停戦会議を開催して、避難民ルートを提言したが、実際、露軍は攻撃の手を緩めなかった。最近はミサイルやロケットで発電施設などインフラを次々に攻撃して越冬生活即ち、民間人の生存環境を徹底的に破壊。無差別攻撃(ジェノサイド)の道をひた走る。「北」は日本海や日本列島を乗り越えるミサイル発射で威圧。韓国領域の発射演習は、ソウル梨泰院雑踏事故(158人死亡)直後、韓民族という同胞が犠牲者の喪に服する事を許さずとする蛮行に映った。中国は国家首席の任期延長をもって、独裁色を深めた。ゼロコロナの国土異常封鎖は国力の減退、自由かつ達な経済活動を著しく低下させた。いずれも共通するのは一人のリーダーが決した、国の方向性である。国境を接する隣国の民はもとより、自国民にも窮乏を与え、多くの人々が国外に走り祖国を後にした。導き出される結論は決して栄光や勝利の甘美な響きではなかろう。
 我が国を見れば、台頭する権威主義の横暴極まりない行為に、自衛権を拡大し、「専守防衛」から先制攻撃できる能力を拡大。人もカネもモノも。本当にこれで国民の安全安心を維持できるか。去る12月8日は、米国に対し太平洋の要衝、真珠湾を攻撃して日米戦争に突入した日。日本はアジアの同邦を欧米列強から守るための戦い、その口火を本格的に切った。今の権威国家と違い、その「大義」を理解した上での開戦ながら、その結末は、2発の原子爆弾と、今だに完結する事のない戦後補償。
 金や物で国を守れると思うと間違いが生じる。戦後日本が言われなき誹謗中傷を乗り越え、安全国家として自我自身と戦って来た過去の実績をみれば、分かるのでは。時よ、時節は変わろうと、日本が歩み続けた道のりと国民の誠意ある行動、70年以上も積み重ねてきた。無謀な戦さを経てみればなおさら分かる。人々によって否定される結末は70年も100年もかかる。そして「独裁」の傷は決して癒される事がない事を。
       (陽)