井上信幸(いのうえ・のぶゆき)元別府市長死去

井上信幸
(いのうえ・のぶゆき)氏

 井上信幸氏(いのうえ・のぶゆき=元別府市長)22日、腎不全のため市内の病院で死去、85歳。通夜は24日午後7時、葬儀は25日午後0時半、いずれも別府市新港町4―11、セルモ玉泉院別府会館で行う。喪主は妻照子さん、自宅は石垣西3丁目1ー38。
 昭和12年3月、別府市の生まれ。県立別府鶴見丘高校から日本大学を卒業。別府大学付属高校、別府商業高校教諭で教べんを取った後、市議を5期務めた。孫を共有する橋本龍太郎通産大臣(当時)の支援を受け平成7年4月に別府市長初当選、2期務めた。
 市長在任中は国県とのパイプを生かし、日韓首脳会談の別府開催、立命館アジア太平洋大学の誘致に当たった。橋本首相のとき高潮対策として別府の海岸線整備事業の調査が始まり、その後、160億円の国費を投じ白砂青松がよみがえった。
 スポーツ観光振興のため別府アリーナを建設するなど、とにかく仕事に全力投球の日々だった。また北島三郎音楽事務所の協力を得て、年末チャリティーショーを復活、ビーコンプラザで6千人の観客を集め、有名歌手が次々と出演。「まつり」の北島事務所が「別府ドリームバル」開催を企画して大ヒットを飛ばした。
 政治信条は保守本流の勤勉頑固が表に出たが、市長室を離れると情にもろく、「ノブさん」の愛称で親しまれ多くの友人知己を得た。市長選出馬の決断は、別府市連合青年時代からの盟友、故安部昭治氏(元自民党別府市連会長)の強力な後押しが利いた。
 長男日出来さんは音楽プロデゥーサーで今春、群馬県東吾妻町議2期目に挑戦。二男貴之さんは海外進出を目指す企業のコンサルティング事業を立ち上げ、いづれも順風満帆な人々を送っている。