鈴木規夫氏がプロゴルファー50年

プロゴルファーとして50年活動している鈴木氏(中央)を祝う会で盛り上がった

 株式会社城島高原オペレーションズ(黒木達夫代表取締役社長)は6日午後5時、城島高原ホテルで「九州の若鷹」と呼ばれた、鈴木規夫プロ(71)=オハヨー乳業所属、城島高原ゴルフクラブ顧問=のプロ50周年祝いの会を開催した。全国から約160人が出席した。
 鈴木プロは、香川県出身。8歳の時にゴルフクラブを手にし、12歳からキャディーのアルバイトを始めた。定時制高校に通いながら、増田光彦プロに弟子入り。21歳でプロテストに合格した。翌年、西日本レジャー開発城島高原カントリークラブ(当時)に入社。別府市に拠点を移し、プロ生活がスタート。その年のミズノプロ新人で初優勝し、くずは国際トーナメント、フジサンケイクラシックなど20勝をあげた。中でも、九州オープンゴルフ選手権では5連覇の記録をつくり、東芝太平洋マスターズ2連覇をかけた試合では、ジャンボ尾崎とのプレーオフを制して優勝を飾った。
 鈴木プロが大きく注目されたのは、1976年に出場した、全英オープン。今でこそ多くの日本人が海外トーナメントで優勝するなどの活躍をしているが、鈴木プロがその先駆けとなった。約650人がエントリーし、本戦に出場できるのは、10人ほどいう狭き門。鈴木プロは予選を2位で通過すると、本戦の初日はセベ・バレステロスやC・オコナーと並び、首位に立った。初出場の日本人が初日トップに立つという快挙で世界のゴルフファンを驚かせた。結果は10位だったが、翌年の出場権を獲得した。
 その後も、青少年の健全育成のための「エンジョイゴルフ」を開催したり、後進の育成にも力を入れ、多くの門下生がいる。ゴルフ場のコース監修など幅広く活躍をしている。
 後藤康男城島高原オペレーションズ代表取締役会長が「北海道から沖縄まで、多くの人に参加していただきました。1976年の全英オープンでは、日本の“鈴木”は、オートバイだけじゃないと言われた偉業でした。素晴らしいレジェンドの50周年を一緒に盛大にお祝いしましょう」といあいさつ。来賓の岩屋毅衆議院議員、水田芳夫九州ゴルフ連盟理事長、井上尚彦一般社団法人日本高等学校・中学校ゴルフ連盟理事長、吉村金八公益社団法人日本プロゴルフ協会長が祝辞を述べた。
 鈴木プロは「多くの皆さんに参加していただき、感謝しています。城島に来てここを拠点にプロゴルファーとしてやってきました。ゴルフ場の仕事をしながら、一緒に成長してきました。九州オープンは、勝たなければいけないという心づもりがあり、どのトーナメントよりも厳しいものがあった。後輩の手本にはなれないが、見本にはなれるように、これからも成長し続けていきたい」とあいさつをした。
 樽酒の鏡開き。黒木社長があいさつをして、乾杯をした。その後、鈴木プロと関わりのある人たちで懐かしいエピソードトークやこれからのゴルフ場についてなどの話があった。
 翌日は210人が参加して、記念ゴルフコンペも行われ、盛り上がった。