
安らかならんことを願い黙とうを捧げた

「平和への誓い」と述べた
令和8年度大分県戦没者追悼式が2日午前10時半、別府市のビーコンプラザで開催された。遺族ら約800人が出席した。大分県の戦没者は、軍人軍属などあわせて4万4458人。
佐藤樹一郎大分県知事が「苛烈を極めた先の大戦で、祖国を思い愛する家族を案じつつ戦場に倒れ、あるいは戦後、遠い異国の地で無念のうちに亡くなられた方々の御霊に哀悼の誠を捧げますとともに、安らかなるご冥福をお祈りします。私たちは、今日の平和と繁栄が、戦没者の尊い犠牲の上に築かれていることを、決して忘れてはなりません。戦争を二度と繰り返さないように、悲惨さや命と平和の尊さ、ご遺族のご労苦をしっかり伝えていくことが私たちの役割です」と式辞。全員で黙とうをささげた。
嶋幸一大分県議会議長と末光秀夫大分県遺族会連合会長も追悼の言葉を述べた。
遺族を代表して、父親がフィリピンルソン島北方バレー海峡で戦死した河野満男さん(83)=大分市=が「生還した人の手記によると、みんな海に放り出され、積載したガソリンが爆発、炎上。火の海となり、命を奪われたそうです。29歳という若さです。母の話によれば、出生の当日、抱っこしていた私を下におろしたところ、2、3歩父の方に歩いて行ったそうです。唯一の親孝行でした」と振り返り、孫娘が書いた平和を願う作文を読み上げて「今なお紛争が絶えず、多くの子どもたちが私たちと同じ境遇にいます。戦争は、理不尽な戦い。未来永劫、戦争のない世界を願っています」。
遺族会青年部を代表して、祖父が国立小倉病院で戦病死した野口裕子さん(50)=杵築市が「祖母から沢山、祖父の話を聞いて育ちました。昨年お盆に祖父が亡くなるまでの日記などを見つけました。病にかかり帰国してから『何故、生きて帰ってきたのに、こんなに辛いのか。愛しい妻と子を残して死ぬことが分かった辛さをどこにぶつけたらよいのか』といった生々しい内容が綴られていました。戦争は悪であることは、間違いない。原爆でいまなお苦しんでいる人もいます。経験者による話を伝え、二度と戦争のない世の中にする決意です」とそれぞれ思いを語った。
佐藤知事、嶋県議会議長、岩屋毅衆議院議員、白坂亜紀衆議院議員、衛藤博昭衆議院議員、古庄玄知参議院議員、大分県市長会長の長野恭紘別府市長、各市町村の遺族代表、明星小学校、明豊中学・高校の児童・生徒らが献花し、恒久平和を誓った。
最後に、明豊高校1年生の川上凌生さん(16)が「毎日学校に通い、友人と笑い合い、自らの将来の夢について語り合うことができるこの当たり前の日常は、戦争で多くの尊い命が犠牲になり、苦しい思いの中で生き抜き、命をつなぎ今を築き上げてくれた先人の上にあることを忘れてはいけません。戦争を知らない若い世代が戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶ必要があります。次の世代に対話によって語り継ぐことが大切です。先人が命をかけて守ろうとしたこの大分の未来を、私たち若者はさらに輝かしいものにし、平和な社会をつくりあげていくことを誓います」と平和への誓いを述べた。
